2014-06-19 第186回国会 参議院 外交防衛委員会 第24号
その中で、米軍艦船による疑いのあるマグロはえ縄切断事案についてでありますが、私は、六月十六日に、沖縄社会大衆党を代表して、地元沖縄防衛局と外務省沖縄事務所に対して、本事案に対する日本政府の対応に抗議するとともに、事件の全容解明、補償について政府が窓口となって速やかに解決すること、そして、事件を起こした米艦船及び今後事件を起こす可能性のある艦船の航行中止を要請いたしました。
その中で、米軍艦船による疑いのあるマグロはえ縄切断事案についてでありますが、私は、六月十六日に、沖縄社会大衆党を代表して、地元沖縄防衛局と外務省沖縄事務所に対して、本事案に対する日本政府の対応に抗議するとともに、事件の全容解明、補償について政府が窓口となって速やかに解決すること、そして、事件を起こした米艦船及び今後事件を起こす可能性のある艦船の航行中止を要請いたしました。
そこで、三人の候補者が出まして、お一方は現職の候補者、もうお一方は、自民党、民主党、社民党、沖縄社会大衆党が推薦をする候補者、そしてもうお一方は、無所属で、元NPOの理事をなさっていた四十五歳の新人候補。この三人の中で当選したのが、元NPOの理事をなさっていた新人、四十五歳の候補者でした。
○糸数慶子君 先ほどの答弁にもございましたけれども、日米における安保条約それから地位協定の中に、条約を結んでいる国において、その犠牲を沖縄県民が被るという事実上の結果になっていることでありまして、昨日は、地元の沖縄社会大衆党、私の所属する政党でございますが、このメンバーで地元の外務省の樽井大使に対してこの件を申し入れております。
その世話人になっておりますのが沖縄社会大衆党元委員長で仲本安一さんという方が中心になっておりまして、これ、沖縄の依存経済やそれから基地問題を解決するためには、先ほどからお話がございますけど、中央集権国家では困難であり、その自治と財政の大幅な権限移譲とそれから一国二制度による琉球州政府あるいは沖縄特例県などの設立以外には道はないということで、メンバーの皆さんが記者会見をいたしまして宣言をされています。
私たち沖縄社会大衆党は、去る四月二十八日と二十九日の二日間にわたって、結党五十周年を記念して、沖縄の地で東アジア国際平和会議を主催したところであります。この会議には、中華人民共和国、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国からの代表を招き、二日間にわたって熱心な討議が行われました。その成果は実に大きなものであったと私たちは自負しております。
また、沖縄社会大衆党の結集にも参画をされたわけであります。基地の町コザの市長を四期務め、県内政界の重鎮として活躍をされましたなど多くの業績を残されたものと考え、故人の御冥福を心からお祈り申し上げる次第でございます。 いつか申し上げましたが、私も一九六〇年代、五〇年代の終わりからずっと沖縄問題に深い関心を寄せて、当時大学生でありましたが、ほとんど沖縄県に長期休暇のときには参っておりました。
また沖縄では、その反省から一九五〇年に私が委員長を務める沖縄社会大衆党という地方政党ができて、現在も反戦平和のために微力ではありますけれども頑張っているところでございます。 私は、本委員会で何度も戦争で真っ先に被害に遭う危険性は一番沖縄が高い、こういうふうな主張をしてまいっております。今述べた二点にもし共通点がございましたら、平山公述人の御意見を伺いたい、こういうふうに思います。
私は沖縄の社会大衆党の委員長をしておりますけれども、我が沖縄社会大衆党が戦後の沖縄の政治や祖国復帰運動などの大衆運動を牽引してきたという自負と同時に、これまで沖縄の心を県民にかわって主張し続けた地域政党だという自負がございます。沖縄の心とは、つまり沖縄の良心であり、それはすなわち戦争を拒否する平和の思想であります。
○島袋宗康君 この港湾の整備については、私の沖縄社会大衆党ですけれども、どうしても国際都市形成構想の位置づけをするために、我々は実は去年の暮れに高雄、台中、それからハイテク産業を今ずっとやっております新竹ハイチク工業団地の三カ所を視察してまいりました。それで本当に五階建てぐらいの、カーゴの積み上げをして、本当にびっくりするようなすばらしい施設ができ上がっております。
当時、沖縄の社会大衆党の党首であった安里積千代という人が私の先輩になり、その娘さんが私と同級生であったということで、琉球大学の学生会の委員長がぜひ日本の学生代表を招待したいというので、私の団体、私学連という団体ですが、その団体は全学連と違って人道主義に徹している団体であるから許可しましようと言って、十五人ほど許可してくれました。
また先日、不肖私ども沖縄社会大衆党がローカルパーティーの先輩として全国地域政党対話交流集会を開催いたしましたが、全国のローカルパーティーからも、沖縄基地問題について絶大な支援を決議してもらいました。要するに、沖縄問題を沖縄県民の選択にゆだねるべきだという声が全国だけでなく世界各国から届いているわけでございます。「沖縄へ返せ」という歌の意味はそういうことだと思います。
その後、蘆溝橋事件が起こって、それから十三年から十五年にかけて、社会大衆党とか日本革新党とか、いわゆる革新政党がまず近衛さんのもとに集まったのです。 そして最後に、政党政治を守らなければならない民政党と政友会も、大臣になりたい、ポストが欲しいという欲ぼけのために大政翼賛会に入っちゃったんです。
○小坂委員 沖縄大衆党は、私の理解するところによれば、本土復帰を期してその運動を中心に進めてまいりましたけれども、本土復帰後も政党としての活動を継続しておる、そして沖縄の議会の中に七議席の議席を占める政党として活動をしている、こう理解いたしております。この政党の活動基盤となるその財源でありますけれども、政府案によりますと、地方政党に対しては献金の道が全く断たれるように思いますが、いかがでしょうか。
その観点からもう一度お伺いいたしますが、小選挙区に既存以外の政党が政党として名のりを上げて、じゃ沖縄大衆党でもいいです。あるいは全国規模で、まあこの沖縄大衆党は、過去において政党としての活動実績があるという点で例として申し上げましょう。そういう政党が国政に候補者を小選挙区で出したい、こう思ったときに、全国で三十人とは若干ハードルは高いですよ。しかしこの道は開かれております。
国粋大衆党の元党首ですね。もっと申し上げると、大正十五年に国防社を主宰していますね。これは家に戸締まり、国に国防ということをスローガンに掲げていらっしゃいますね。昭和六年に国粋大衆党党首、翼賛選挙でこれは政党が禁止になりますので、国粋同盟に改称いたしますね。それで、戦後このゆえをもって追放になり、A級戦犯として巣鴨プリズンに収容される。
次に、野党議員の質疑続行中であり、その後に沖繩県民の心を代表すると言っても過言ではない沖繩社会大衆党の安里積千代、沖繩人民党の瀬長亀次郎両議員の質疑権を無視したこと。さらには、この強行採決が参議院において、たとえ審議未了のことがあっても自然成立するように審議日程を逆算して強行された、そのことが参議院の権威を著しく低下させたことであります。
次に、野党議員の質疑続行中であり、その後に沖繩県民の心を代表すると言っても過言ではない沖繩社会大衆党の安里積千代、沖繩人民党の瀬長亀次郎両議員の質疑権を無視したこと。さらには、この強行採決が参議院において、たとえ審議未了のことがあっても自然成立するように審議日程を逆算して強行された、そのことが参議院の権威を著しく低下させたことであります。
次に、野党議員の質疑続行中であり、その後に沖繩県民の心を代表すると言っても過言ではない沖繩社会大衆党の安里積千代、沖繩人民党の瀬長亀次郎両議員の質疑権を無視したこと。さらには、この強行採決が参議院において、たとえ審議未了のことがあっても自然成立するように審議日程を逆算して強行された、そのことが参議院の権威を著しく低下させたことであります。
○田畑委員 十二月二日の沖繩現地で開かれた公聴会の際、現地の与党第一党の社会大衆党は、返還協定を強行採決したあとの公聴会は無意味だ、単に審議スケジュールを消化するための手続にすぎない、こういうわけで参加されなかったわけであります。